大学院生日記

常に自分探しの旅

事象をシンプルに捉える事

物事を簡単に捉えられる、難しい事を分かりやすく説明できる人

そのような人は身近な場所や職場にもいるとは思いますが尊敬の対象になっていたりします。

こんな人になれればと誰しもが思うはず。

自分の経験からどうなっているかが理解できないという立場から理解できるようになり,わかりやすく伝えられるようになる過程を大学受験の数学と塾講師の経験を通して学んだためその事について話そうと思う。

説明できるというのはまず自分が理解している事が大前提にあってその上で分かりやすいというのは情報量少なく簡潔に伝えられる事だと思う。

科学の起源は世の中の普遍の事実を説明するために出来た。

リンゴが地面に落ちる事やおなかが減るといった不変の事実を疑問を持ち,それが何なのかを突き詰めるところから科学が始まり,それを示すために様々な方面からアプローチをする。

従って樹形図を書くとすれば科学の大元には一つの共通のゴールがあり,その下流にある様々なテーマや課題はどれも大元の影響を受けながら更に枝分かれしながら下流に進んでいく。

勉強熱心な人で数学の公式を全部暗記して分厚い問題集を何冊も解く人がいる。

実際に自分もそのような勉強をしてました。

数学を勉強しても出来るようにならない人に共通する原因ではないかとも最近は思っています。

公式を暗記して問題をひたすら解く行為は公式が持つそれぞれの背景(導出の過程)を無視してその下流にある公式を用いた問題をひたすら解こうとする事である。

このような解き方をしていても公式よりも下流の様子しか分からず,根性で何百の公式を完ぺきに暗記して問題が解けるようになったとしてもきっと数学は難しいと思い続けるし,楽しさに気づく事は無いと思う。

このように自分を含めた多くの人は課題が与えられた時に下流を充実させようとするがそれでは物事の全体像が見える事は無く,少し変わった問題が出た時に対応できない。

このように物事を考える時は下流の方へ突き詰めていきがちですが実は努力の向きは逆で樹形図をさかのぼるのが最も理解への近道であり物事を俯瞰して捉えられるようになるのかなと思っている。

それが受験の時にしつこく言われる「公式の導出が大事」とか「公式の暗記は良くない」の言葉の裏に隠されている意味なのではないかと思う。