大学院生日記

常に自分探しの旅

思考の整理と問題解決のプロセス

巷にはロジカルシンキングなどの講座が開催されているが実はまともな理系大学卒生であれば論理思考などはそんな講座などを受けずとも無意識に出来ていると思っています。

みな時間をかけて考えた末に回答までたどり着いており,それは理論解と近いものであるがどうしてそのような思考回路になっているのかまでは考えられていない状態なだけだと思っています。

受験の数学は公式の組みあわせなど論理思考の先に解けていくものに近いと思っていますが私が受験の頃に数学を解くとっかかりとしてはピンと「こう解いていけばよいのでは?」とひらめくところがきっかけで色々進めていくことが多くありました。

このころは思考に型があるなどを知らないまま繰り返しの演習を通して論理思考をできるようになっていたのだと思っています。

物事の道理を論じる事が論理なので回答が一つある数学をまともに考えていたら理論解の近いところまでたどりつく思考プロセスは身につくはずである。

そんな感じで何度もトレーニングする中でなんとなくの論理思考の型が自分の中で出来上がっていったのだと思います。
しかし,自分の思考の中では様々な試行錯誤や要らない情報も含まれており,答えを出すまでに時間がかかるし再現性が見えにくくなっている。
書籍などで論理思考の型を学ぶという事は論理思考の骨子のみを取りだしたエッセンスを載せており,驚くほどに単純に表されている。
実は私たちの思考の中でも多くの追加情報や無駄な思考があるがそんな中でも書籍に乗っているような論理思考のプロセスは踏んでいってるのである。

従ってよりシンプルに物事を考えられるようになって最短ルートでの問題発見解決のプロセスを踏む思考を行うためには自分の思考の中でどの部分が余分だったのかを振り返ることが大事だと考えております。

思考の整理をする事でこれまで余分だったことなどが見えてくるのだと思う。

攻めに転じる時期

2024年は効率化の視点を持ちながら活動をしていきたいと考えております。

思考の効率化(ロジックの神髄を見極めた最短ルートでのアプローチ)とツールを使い時間の捻出に意識を向けていきたい。
毎年,秋は耐えの時期と呼んでおりますがとうとう耐えの時期が終わりがつがつ攻める時期である春がやってきました。
昨年の秋は現状維持をできたと考えています。
毎年,肩こりがひどく集中力にかけるのですが今年は首や肩ツボマッサージで肩回りをほぐしつつ,全身のストレッチを行う事で集中力の低下を最大限に抑え,現状維持以上の事を行えたと考えております。
その上にマラソンに向けた活動やブログの更新も少しずつできたし,我慢の秋をなるべく失速しない状態で乗り切ることが出来ました。
今年の前半の目標についてお話します。
まず仕事に関しては昨年論理思考などコンサルが持つような知識を読書を通してインプットしたのでそれを基に実務における課題解決力を育てつつ,仕事の専門分野ではしっかりと根拠を持った上で発言,提案を行っていたいと考えております。
プライベートに関してはまずは3月のマラソンに向けた練習を加速させていき,それから9月ごろまでは書籍の執筆にウェイトを置きつつ,次なるネタを探していきたいと考えております。
またツールを活用した効率化としてキーになってくるのがchatGPTだと思っています。昨年chatGPTが出てきていまいち世の中に浸透しきっていない現状でそれを有効活用し仕事のルーチンワークに関してはなるべくAIに任せてパフォーマンスを落とさずに自分自身の時間捻出を行っていきたいと考えております。
人は考え,物を創造するところに最も多くの時間を活用していくべきだと考えております。
このように2024年は効率化を行いつつ,新たな部分にリソースを避けるような状態にしつつ,新たなネタにリソースを割いていきたいと考えております。

やっぱり本が好き

高校生のころまでは本の縦文字が嫌いでほとんど本も読んだこともなかった私ですが大学で様々な本を読んでいたおかげかいつの間にか文字に対する嫌悪感はなくなりむしろ本屋に並ぶ本はどれも面白そうで本屋の本を片っ端から読んでしまいたいなと思うまでになりました。

やっぱり人生を長く生きた人や偉人から学べることは多くあって読書を通していろいろな価値観や考え方に触れ,そして自分の中に落とし込んでいく事に楽しみを感じている自分がいます。

最近はなかなか本を読む時間が取れなかったのですが昨日久々に最寄りの本屋さんに行くと忘れかけていた好奇心をくすぐられるような感覚を思い出して時間がない中思わず,長居してしまいそうに。

ファーストインプレッションで2冊だけ購入して本屋を後にしました。

最近思い始めたこととして,人生を良く生きたり,仕事での能力を高めていくためには読書を通した人間力アップが一つ大事だと思うのですが残業まみれで本を読む時間が確保できないというのは短期的には仕事が進んでいるように感じても多分長い目線では良いことではないんだろうなと思い始めております。

仕事は定時で終わるように,終わらせるようにすれば本やその他の趣味などに時間を割くことが出来,人生を良く生きたり,仕事での能力を高めていくことに繋がるのだろうなと思うようになりました。

日本の企業は時間制でお金が発生するので残業にあまり嫌悪感を感じないのですが先々の事まで考えると残業はなるべくしない働き方が大事なのだろうなと思っています。

発言する人が仕事できるのか?について

仕事で色々文句を言うだったり発言している人がいると仕事上関係のない友達などに話すと必ずと言ってよいほど多分その人賢いんだろうね。って返事が返ってくる。

おおむね発現する人には優秀な人が多い気がしている。

しかし身の回りに文句をよく言っている人がいてその人の事はどうしても優秀だと感じられない。

そこでこれまでに自分の認識として発言することは仕事できる人の十分条件だと思っていたのがあくまでも必要条件だったのだなと気付いた。

具体的には発言する人には芯のある人と画の強い人がいて芯のある人は優秀な仕事人としては必要なひとつのパーソナリティだと思う。

一方で我の強い人は扱いづらいとの烙印を押され,そして周りから人が離れていくタイプの人なのではないかと思う。

芯の強さと我の強さは前者は良い意味で後者は悪い意味でつかわれることが一般的でどちらも譲らないものがあるようない意味合いですが「柔軟性」の部分で一つ違うのかなと考えております。

芯の強さとは行動の指針となる中核部に譲れないがあったりすることだと思っていてその他の部分に関しては他からの意見を受け付けられる柔軟性を持つ印象がある。

一方で我が強いとは自分が正しく,自分が考えることが正しく周りから意見が受け付けられないため柔軟性に欠ける。

組織に属する以上協調性は必要だと考えております。

でも芯が無く全てを受け付けてしまう事は良いことではなく,芯がありつつ柔軟性も併せ持つ人が組織で仕事できる人なのかなと思います。

山を登っていく感覚

そいえば最近は仕事に置いて「山のてっぺんまでの道のりを作っていく」ような考えが開発者には大事なんだろうなという感覚を得ています。

私が初めて山を登る感覚を知ったのは大学院での研究生活で大変苦しかった時期でした。

本来は何事も最終的にやりたいこと,できるようになりたいことなどがあってそれは数文字で言葉にできるようなもので誰もが理解できるような専門性の低いものだと考える。

これが「山のてっぺん」に相当するもので一見シンプルだがそれを達成することはかなり難しい。

そこで山のてっぺんまでの道のりを埋めていくような作業を行うのですがそれが様々な検証だったり実験群になるわけで研究では山のてっぺんは非常にシンプルで何かしらの形で世の中に貢献するといったものになることが多く,いくつもの中継地点を設けてそれを山を登っていく感覚。

企業の山のてっぺんとは企業が儲けてさらなる繁栄をする事で事業部レベルではは事業が儲けてさらなる繁栄をする事。

個人の業務レベルまで山のてっぺんを落とし込むと「A商品で競合他社よりも卓越している事を示し,顧客を獲得する。」といったものになります。

場合によってそのてっぺんについてもさらに中継地点を設けて解決に取り組む必要があるのかもしれませんがいずれにしろ,業務も何事も山のてっぺんもしくは中継地点に到達するように様々な細かな業務を実施しているし目指している部分を見失ってはいけない。

中継地点を着実に通過しながら山のてっぺんに近づいている感覚は楽しいね。

マラソン本番

無事マラソンを走り切ることが出来ました。

しかし,目標には届かず悔しい一面もありまた頑張ってマラソンに出場しようと思えるようなマラソンでした。

まず会場につくと思っていたよりも広い空間とすごい人数の人がいました。

色々演奏などもありお祭りのような空気感。

そして3/17の9:00スタートで1万人近くが一斉にスタートしました。

ラソンのスタート地点



初めはみんなが密に走っているためスペースが無く集団のペースに合わせて走る形でした。大体6min/キロのペースです。

そんな中で給水所などで立ち止まる人も増えてきて徐々にスペースも生まれ,速度を目標である4時間の水準まで上げていきました。大体5:30min/キロのペース。

特に何もしんどいことはなかったのですがいつもとの違いとして背中だったり首筋がべったりするくらいたくさんの汗をかいている事を不思議に思いました。

実はこの日20度くらい気温があって風も日光も強く過酷な天気状態でした。

練習の時と同じように大体20キロくらいまでは特別しんどいという事はなかったが折り返し地点がなかなかやってこないなと思っているよりも進んでいないのかなと感じていました。

そして折り返し地点を迎え,だんだんきつくなっている事に気付いたが引き続き5:30min/キロのペースで走っていました。

そして26キロ付近で走ることに対する限界が来てしまい,足が持ち上がらずついに歩いてしまいました。

前に進むことを辞めてはいけないと早歩きを維持することは意識し走ったり歩いたりしていました。

そんな中でついに足がつってしまいコートサイドの芝生で寝て足を伸ばしたりして一気にペースを落としてしまいました。

そこからは3~4キロ周期にやってくる給水所を目指して歩きと走りを繰り返し,そして4時間26分というタイムでのゴールになりました。大体6:20min/キロ

ぎりぎり4時間半を切りサブ4.5と言われる大体半分の男性が完走するといわれるタイムにてゴールできたが4時間を目標にしてきたので悔いの残る大会にもなりました。

いったんは自分の限度を知ることが出来,また祭りのような雰囲気の中実施されまたマラソンには参加したいと思いますし自分の限界をどこまで引き上げられるかにチャレンジしてみたいと思わされてる大会でした。

完走者に渡されるメダル

運営の皆様には大変感謝いたします。

11月のみなとみらいマラソンや来年の東京マラソン板橋区シティマラソンなど色々今後とも出ていきたいと考えております。

ここまで読んでくださりありがとうございました!

マラソン前日の平穏

私がこの記事を書いているのはマラソン前日の夕方のお話になります。

今日は明日のマラソンに備えて体力を温存するように部屋内でできるブログ,掃除,読書を中心にやっています。

お昼を食べるために駅までバスで出たりしていてなんて平和な日なんだろうって思いつつ今日みたいな平和な日が続けばいいのになどと思いつつバスに揺られていました。

でも日々ってすごく早く進んでいて今は目の前に大きすぎる壁であるマラソンしか見えていないが気づけば明日走っているんだろうし夕方にはもう走り終えて色々感慨にふけっているんだろうなと思う。

しかも明日にはこの昨年末からコツコツ練習してきた目標が終わったさみしさすらもあるんだろうなとも思う。

人生ってそんなことの繰り返しなんだろうなと最近は思う。

やばいなと思ってしまうほどの大きな相手やイベントも時間がすぐに運んできて始まってしまえばひたむきに取り組み,そして時間とともにそのイベントが終わりそして振り返ると大きく見えていた壁の上に立っていたりかなりてっぺんに近づいているのかもしれない。

大丈夫,時間が何事も解決する。

軽くそわそわしながらマラソン前日の平和な日を過ごしている。