大学院生日記

常に自分探しの旅

現代世の中のスピードと日本古来の風習

今日、共同研究できないと言われ、自分のテーマにした理由を失った。

 

できると言われ続けた事をはぐらかされるようになり結局できないと言われることに対していら立ちを覚えるのは期待しすぎだったのかな。

 

イライラした理由

・研究生活に期待し過ぎていたから

・自分がテーマを選んだ理由だから

・先生のはぐらかし方

 

大人な方は精神が落ち着いている印象があります。

でも今回の事に関してイライラしないのが果たして大人なのか?

イライラの原因を取り除くためにはその原因の反対の事象を考えればよいと考えています。

 

じゃあイライラしないためにはイライラの原因を取り除けばいいってことだとすると

・研究生活に特に期待せずなるようになるで過ごす

・特に何でも良いとこだわりを持たない

・先生のいう事を「はい」とそのまま受け取る

 

これってどうなんでしょうか。主体性は感じられません。

しかし日本人の多くは上に当てはまっている気がします。私の先生は典型的な日本人で自分の主体的に行動する性格は典型的な日本人の性格ではないのかもしれない。

 

企業にも社風があり、その社風に自分が合わない場合は同じようにわだかまりが生じ、早期退職に繋がると思う。従って面接の場で企業が学生とのマッチするかを選定するのは重要な役割があるんだなと思う。

 

しかし、大きな流れとして様々なモノの動きが速い今の時代、企業から求められているものは主体的に行動できる能力だと考えている。研究所や企業に限らず、主体的に行動できない環境ではこの目まぐるしく変わる世の中で淘汰されていくと思う。