大学院生日記

常に自分探しの旅

時代遅れの優秀な人材の量産国

私が小4に日本に戻ってきて漢字の小テストなどみんな7~8割取り、きれいな字でノートを書いている所を見ると日本人はやっぱり優秀なんだなと思っていました。自分は下手な字で漢字テストは1割も取る事が出来ず毎回居残り追試を受けていました。みんなのテストなどをそつなくこなしていく様子はアメリカで毎日自由でやりたい事をして育った私にとっては衝撃でした。日本の従順で真面目な人は義務教育が生み出してるのかなと思いました。

そして大学までは与えられた課題を正確にこなす人が善とされ、研究室に配属された瞬間からは主体性が評価されることを感じました。

ここのギャップを不思議に思っている。ずっと主体的に動く事を制限する義務教育を受けて研究所や社会に出ると主体的に動く事を求められる。日本人はみな主体的に動く事を義務教育では学ばないため苦手意識があると思う。

高度経済成長期は日本人の従順でハードワークさが社会の流れにはまり、経済大国まで上り詰めた時期もありました。むしろ、その時の社会の流れに合う教育が構築されたといってもいいかもしれない。しかし、世の中の生活水準は上がりました。これまで製品の量産が求められていた時代から高付加価値でクリエイティブな発想が求められるようになった世の中で日本の従順で座学を強みとする学生は世界に置いて行かれないだろうか。凄まじいデジタル化と生活水準の高まった世の中など社会は大きく変わったはずなのに大学までで学ぶ内容は親世代とほとんど同じである。今の日本の教育は一昔前に求めていた人物をいまだに量産しているのではなかろうか。