大学院生日記

常に自分探しの旅

自分との対話

最近,少し時間が出来てぼぉっとコーヒーをKFCの店内で飲んでた事がありました。

どうしても日ごろ頑張っている事があると休みの時もその事が頭に残るのですがその時は何も無くぼぉっとコーヒーを飲んでました。

そのような暇な状況では私は普段なら考えないような事を深く考え始めるのですがその時考えていた事を記事にしてみました。

議題は「自分の中での考えを深める意味」です。

この考えるという行為が自分は好きでまたおぼろげに大切なのだろうなと思っていました。

どうして大事かと聞かれても多分答えられなかったと思いますがおぼろげに大事なんだろうなと。

しかし最近は暇な時間が出来るとスマホを見てしまいがちになっていて一人で深く考える機会が減ってしまったなと最近思っております。

自分の中で良く考えているにも関わらずどうしてそれをしているのか,どんな意味があるのかについてはいまいちよく分かってません。

そしてこの考える事がなぜ大事なのかが気になってちょっと調べてみたのがすごいしっくり来てこの記事を書くに至りました。

会話は2人居ないと成り立ちませんが自分の中で掘り下げたり考えてみたりというのは内側の自分との対話であり,自分を知る事に繋がるそうです。

自分との対話にはちゃんと学問として名前があってこれが”哲学”というそうです。

元々哲学には固いイメージがありましたがこれまで長い歴史の中でみな自分は何だろうと考えた結果生まれた学問で知らぬ間に自分も行っていた事を知った。

哲学は最も古い学問とも言われていますが”自分はなんだろう”との問いはこれまでの先人からずっと考えられてきた課題なのだなと思いました。

みな自分の事に最も興味があるにも関わらず全然知らなくて自分を知りたいと歴史上の先人はみんな自分について考えてきたのだと思います。

世の中あまりにも様々なルールが決まっていて考えて行動するように出来ていない事から自分の考えだと思っていたことが実はそれまで自分が属してきた環境から受けた影響であって本来の自分の考えで無いのかもしれない。

だからこれまで自分が暇になったら行っていた思考を掘り下げるという作業は自分との対話であって自分を理解する事であり,自分が日ごろから言っていた将来自由になりたいと言っていた事を自然と目指している行為だったのだと気づいた。

色々ルールが決まった世の中から抜け出して自由になりたい,自分の考えを自由に表現したい。

どんどんネットが便利になってきた世の中ですが携帯からは離れて自分と対話する時間も大事にする必要がありそうですね。