大学院生日記

常に自分探しの旅

抑圧された好奇心

好奇心とはゴールがあっても無くても自分の内側から湧き上がる興味に従って色々調べ行動する事を表す言葉だと思う。

人は好奇心を持って生きてる時が最も楽しい時間だと思うのですが日本人は好奇心を持たないようにプログラミングされていると思われる。

好奇心とは型にはまらないものである。

人の数だけ好奇心のベクトルは存在していてそれは一つにまとめる事が出来ないはずである。

そんな中で日本の義務教育ではあるゴールが与えられてそのゴールに近づく事が良いされ,みんながそこに向かう。

それはペーパーテストで100点を取る事。

義務教育の間は与えられた課題に対してどれだけの精度でそれを達成できるかで良し悪しが決められる。

そんなぎむきょういくを過ごすと好奇心を持つ事がどういうことなのか自分の意思でものを決定する事がどういうことかの意味が理解できない人が出来上がる。

従って就活や大学生に何がしたい?と聞いた際に出てくる答えは本物の好奇心ではなく,自分の底から湧き上がるものではない好奇心もどきである。

自分もおそらくは完全に義務教育での呪縛から解き放たれているわけでは無いと思う。

従ってもし「良い教師」を定義するとするとすればそれは「好奇心を駆り立ててくれるような先生」なのではなかろうか。