大学院生日記

常に自分探しの旅

学問を通して自分を知る

15歳からこれまでの10年間は勉強に多くの時間をかけてきたと思う。

勉強を通して教養が身につくだけでは無く,自分の弱みや強みなどの性格面の理解、難題に挑戦した際の工夫による思考範囲の広がり、今後の人生をより豊かにするような思わぬ気付きなどが得られたと感じている。

受験では苦手科目を克服するために試行錯誤をし、大学では自由な時間が多くある中で取捨選択を行いながら自分の興味を突き詰め、研究という長期に渡り一つの課題に取り組む事で忍耐力があるかどうかを知る。

このように大学院までの期間は教養を身につけつつ自分を知る事に全力を注げられる期間である一方で、昨日の記事のように社会出てからの選択の連続に対してより良い選択を行う目を養う期間としての意味合いもある。

社会出てから行う選択の連続が果たして正しかったのかは最後まではわからないが正しいであろう選択をその都度取っていく眼は養っておく必要がある。

正しい選択を行うためには経験を積み,世の中を知り,自分を知る事が必要だと思う。

世の中については社会に出てからでないと分からない部分も多いが学生は時間がありより広い経験や自分をもっと深く知る事が出来る。

従って自分と向き合う時間が増える浪人や大学院などの社会に出るまでの間にあるアディショナルタイムについては自分は肯定派である。

正しいであろう選択をする目を養う為に思考を掘り下げて様々な角度から捉えたり反対の立場に立って考えたりする事が必要であり時間が必要である。

それらの力を養うきっかけとして受験、大学や大学院がある。

周りに大学は人脈づくりの場といっている人がいるがそうではないと思う。

そして勉強の場だという人も居る、これは半分正しいがもっともっと得られるものは多い。

学費がかかるから大学に行かず早く働いて欲しい。

これは親が高卒の場合に子に言いがちな事である。

でもこれだけ学びの多い大学の過程を飛ばして選択の連続である社会に出る事はかなりもったいない事だと思ってしまう。